ここでサーブを打ちます

好き勝手に喋る

さよなら青春

私は今日で、約16年間応援し続けたテニスの王子様を降りる。平成最後の夏とともにわたしの青春はやっと眠りつくのだ。
これはつまり、「わたし」が「勝手」に「降りる」にあたって好き勝手ポエムをしているだけなので外野は黙っとけ、ということなのでどうぞよろしく。


ディナー問題でジャンル内は揺れに揺れた。
最初はなんかこう上手く収束すると思っていたが、平等を証明するために総数も分からないのに20%なんて言われてたってそんなの一体になるの?幾つのうちの20%なの?本当に20%なの?それよりも、そのことをツイッターに上げるねって本人と連絡してるらしいのがもうすでに不信感。あとはなんで最初に逆ギレみたいなツイートをしたのかとか、謝罪ツイートにサインや缶バッチのこと書く必要はあったのか、とか。
でも、抽選とか選考とか、お気に入りとか贔屓とか、積んだ積まないとか。正直もうどうでもいい。どうせ悪魔の証明にしかならないことを良くも悪くも知っている。
そして私は、先生は神さまなんかじゃなかったことを知ってしまった。本当に神さまだと思っていたわけではないが、いつしかそういったものと同じ概念だと思い込んでいた。その昔、作者アンチの人が多かったころ侮蔑用語として「たしけ」と使われた。私も最初はそうだった。でもずっとそこにいたら先生を「たしけ」と呼ぶファンがいることに憤りを覚えるくらいになった。たぶん、その辺りからあまりよくない傾向だったんだと今なら思う。1人の人間を神と崇め讃えて、勝手に神さまなんて嘘だったって絶望して馬鹿みたいだと思う。でも、わたしはそれに耐えきれないから、降りる。


先生が2度目(?)の謝罪ツイートを出したその数時間前、私は今まで集めた大量のグッズを持って池袋にいた。
前日に未使用や綺麗なものだけダンボールにかき集めた。引っ越し用の大きいダンボールに二箱分くらいになった。そこまでグッズ収集癖はないので、他の人に比べたら少ないかもしれないが、私の部屋の中では半分以上を占めていたグッズたちだ。なんとなく、整理中も池袋にいるときもテニスの王子様の曲は1曲も聞かなかった。
不思議と涙は出なかった。ただひたすらに息苦しくて、売るときに自分の名前や住所を書く手が震えるのが分かった。
そのあとに、先生から動きがあった。もしかしたら、もしかしたら私がさっきグッズを手放してしまったことを後悔するようなツイートがされるかもしれないと、期待した。どんなツイートを期待してたのか分からない。分からないが、最善ではなかったとなんとなく感じた。


テニスの王子様が本当に好きだった。私がまだ小学生だったころから好きだった。家族も私がテニスの王子様を好きなことを知っていて、中学生の時は塾の時間とちょうど被ってしまったアニメを代わりに毎週録画してもらって、一緒に見ていた。未成年の私が始発でJFやイベントに行くときは付いてきてくれた。最近は私も社会人になって、家族旅行兼ねて京都も仙台も行った。安心して、家族で見られるアニメ(漫画)だった。
ずっと、そうやって続いていくのだと思っていた。こんな終わりは迎えたくなかった。
でも、好きにならなきゃ良かったとは思わない。どのグッズを見たって楽しかった思い出に溢れている。テニスのオタクをしている私は幸せだった。これまでの楽しかった思い出は私の中で一生宝物のように輝き続けるのだろうとおもう。これからのしあわせは他のところで育てていく。


ありがとうテニスの王子様、さよなら青春。

初めてのDream Live 2018

  ついこの間本公演を観たばかりのド素人だが、私に比嘉公演のチケットを握らせたテニモンから今度はドリライのチケットも握らされてきた。4枚。横浜公演は全部観てきた。4枚中3枚はセンター席というやつで、本公演よりもずっとずっと近くで楽しそうに踊って歌う王子様たちを見てきた。シャブだった。

 

 

  ツイッターで検索するとやはりライブ系はオタクのトンチキファッションショーが行われていることが分かった。折角行くなら全部全部楽しみたくて、当日の3時くらいまで初めてのキンブレシートを作り、比嘉を応援するためにハイビスカスの造花でコサージュを作り、忘れ物がないようにチェックリストを作り、アクエリアスを冷凍庫に入れて寝た。初めての横浜アリーナ、駅から辿り着けるか不安でしきりに携帯をいじっていたが、何も問題はなかった。本公演の時よりも推しの色を纏い、派手な格好をしたお姉さんたちが新横浜駅に溢れかえっている。何となくテニフェスを思い出させて、安心した。

 

  1日目、友人とは席での合流。初めて降り立つ横浜アリーナはどこがどこの席か分からず、入ってすぐにスタッフさんに席の場所を聞いた。近い。無事に友人とも合流し、人生初めてのドリライが幕を開けた。

  知らない曲も知っている曲もあった。知らない曲の方が恐らく多かったし、コーレスを求められる曲もあったが、何とかノリで乗り切った1公演目。何となく曲が分かってきた2公演目。画面に出る歌詞に合わせて歌えるようになった3公演目。3回も聞けば知らない曲はいつしか知っている曲になった。比嘉ラップや他の曲も画面誘導を見ずともコールできるようになったラスト4公演目。

とんでもなく楽しかった。ライブはやっぱり曲を知っていてこそ、だ。その中でも、例えばザ・レギュラーやペテン師だぁ?はその昔流行りに乗って見た空耳動画で何度か見た。目の前で歌われるそれらの曲を聴きながら「ほ、ほんものだ……」とひたすらに感動していた。

 

  ゲストで初代キャストがたくさん出ていた。名前は知っている。多分何人かは失礼ながら空耳動画で見たことがある。周囲の反応もかなり大きい。そして15周年、3度目の全国大会、青学は9代目。あぁ、キャスト・ファン含めこの人たちが命を繋いできたんだと思うと無性に泣きたくなった。初代から繋がるキャストがいて、その人たちを応援していた・応援し続ける人たちがいて、私が今、ミュージカルを観ることが出来ているのは、その人たち全員のおかげだ。なんてすごい繋がりなのだろう。テニスの王子様という媒体の広さを思い知った。

  初代キャストの中には、あの加藤和樹もいた。さすがの私だって顔と名前、そして跡部景吾役であったことを知っている。彼は跡部景吾の台詞を言ってくれた。周りが狂喜乱舞する中、私は1人 あぁ、この人が本物の跡部景吾だ…… と感動で打ち震えた。どのジャンルを置いても最推しである跡部景吾を人間が演じることにどうしても抵抗感が否めなかったが、この人の跡部景吾なら見たかったと思った。(後におてふぇすで見ることになる……)

 

  今回は、私をテニミュの世界に引きずり込んでくれた比嘉のオタクとして乗り込んだが、比嘉曲が最高の最高すぎて人の形を保っていたか正直怪しい。比嘉ラップもダークホースもバイキングホーンも全部が全部良かった。

し、甲斐裕次郎推しスタイルで行ったのに、新垣くんからはちゃめちゃにファンサを貰いはちゃめちゃに湧いた。メンステで踊る新垣くんに、少し遠かったが友人と共に紫ガン振りで気づいてもらった挙句、はいでぇ!したらそのままはいでぇ!を返してもらったときはもう本当にどうにかなるかと思った。ちょっと遠かったのに気付いてもらえるなんてとんでもない。そして顔が良い。大楽では、比嘉曲で紫ガン振りしてたら真正面で新垣くんが挑発的なお顔でこちらを見ながら踊ってくれ、あまりのことにその場でジタバタしたらオタクの挙動が面白かったようで笑ってもらえた。良かった。やっぱり顔が良い。

あんまり甲斐くんが近くに来ることはなかったが、2日目のセイヤーは大体正面にいてくれたので存分に味わった。3公演目、甲斐凛仁王?の3人で突然ガシガシ踊り出したのを一直線上で見れたのは嬉しかったし、隣にいた友人を見て見て見て!!!!と半ば半狂乱で叩いた。興奮が抑えきれなかった。大楽はその時と逆サイドだから甲斐くん見えないな〜と思っていたら、甲斐くんも同じく逆サイドに移動していて、知念と2人でワイワイしているのをしっかり目に焼き付けた。公演中も、大楽はステージがかなり近かったので多分何度か甲斐くんからも視線は飛んできていた、と思う。甲斐裕次郎のキンブレシートを作ったので気付いてもらえないかな〜と頑張って振ってた。どこかのタイミングで見てもらえたような気がするがいかんせん7月に書いているのですでに記憶があやふやだ。

  ファンサといえば、私にチケットを握らせたテニモンからサエさんがやばい、と聞いていた。4公演見て、確かにピンポイントでファンサを投げるサエさんはやばかった。なにせ顔が良い。(個人的に、飛び抜けて顔が整っていると思ったのは サエさん・観月・千石)ただし、私自身はどんなに近かろうとファンサは一切もらえなかった。いや、赤振ったり三角作ったりすれば笑顔でこちらを見てはくれる。見てはくれるが、それ以上はない。立海装備の隣の友人にはファンサが飛んでたのに、比嘉装備全身紫の私にはこない。やばい。六角と比嘉の確執がやばい。(私がブスだとか、他の比嘉推しは貰ってたとかそういうことは一旦置いておいて)ファンサされないことがこんなに興奮するとは思わなかった。さえきこじろう、やみがふかい。

 

  こんな感じで、それはもうとってもとっても楽しんだ。9代目の卒業も、涙ながらに見送った。数えるくらいしか見たことのない初心者の私が、果たしてこの子達をずっと応援してきた人たちと一緒に泣いていいものかと悩んだ。だが、私にとっては初めて生で見た青学、そしてミュージカルのテニスの王子様ってどういうものかを見せてくれた青学だ。そして何より、喋っているのは彼らだとしても、見た目は私がずっと見てきた王子様だ。泣いている姿を見て、我慢出来なかった。

  関東大会後の黄金ペア「もうここに来るのは最後だ」、乾と柳の「また試合しよう」。キャラクター同士で見ればなんてことない会話だが、彼らにとっては、本当に最後だし、果たせることのない約束だ。この台詞を言わせることがどれだけ残酷で、そしてとても儚くうつくしいか。永遠に生き続けるキャラクターと、終わりのあるキャスト達。いのちの期限があるからこそ、あの舞台上でより眩しく輝くのかもしれない。

そんな中、続投である越前リョーマだけが笑顔で卒業バラードを歌い切り、コメントしている。原作と同じく、手塚に柱を託された越前リョーマ。この人が青学の/ミュージカルテニスの王子様の柱だ、と強く感じた。

 

そして私は、10代目のお披露目も見ることになる。10代目は私にとって、お披露目から卒業まで見届けた初めての青学になる予感がしている。すでに友人から全国氷帝のチケットを何枚か譲り受けた。比嘉のチームパーティーではテニモバ会員になってチケ取りに参加しようと思っている。会員になれば、わたしもとうとう広義の意味でのテニモンだ。

テニスの王子様、全ての媒体で「テニスって楽しいじゃん!」と言えることがとても嬉しい。

 

 

テニプリっていいな

キミのすべてさ。
この「キミ」とは私たちファンのことか、「彼ら」のことか、あるいはどちらもか。兎にも角にも原作者からそう歌われるとんでもないジャンルにいる。


ドリライに行った。おてふぇすにも行った。来月はサマバレ仙台にも行く。先生が行くというなら私は沖縄だって北海道だって行くだろう。そういうオタクだ。ドリライもおてふぇすも最高だった。ドリライの感想は途中で書いたまま下書きに入っているが、本当に楽しんだし9代目の卒業も涙ながらに見届けた。おてふぇすは書き始めてもいないが、頭の先から爪先まで幸せを詰め込んでもらったし、悲キミの あの あまりにも残酷でうつくしい光景が目に焼き付いて離れない。
そう、とても楽しかった。私も楽しかったし、あまりテニスのイベントに参加しない友人だってとても楽しんでいたし、フォロワーは言わずもがな。ツイッターで検索すれば物販の愚痴は出てこそすれ、ライブ内容に対するネガティブな意見は私は特に見なかった(ドリライはまぁ…色々あったが……)。みんな"参加していた人たち"は、楽しんでいた。その参加していた人たちがあまりにも少ない。いや、少ないと言っても横アリとパシ横だから少なくはないのだろう。でも、チケットはみんなが取れて譲渡祭・直前でも譲渡先がなく定価6千円も7千円もするチケットが半額以下の値段で飛び交っていた。それでも譲渡先がない。おてふぇす夜公演は下手20列代にいたが、10列代だってポツポツ空席があった。あの譲渡祭からすれば埋まっていた方なのだろうし、大人の事情があるのも分かっているが、なぜ先行から前方席を埋めてくれないのか・初代ミュキャスゲストの発表があればまだ埋まったのではないかと思わざるを得なかった。

もうテニスの王子様は、当時のような全盛期ではないし、想像しているより勢いもないのかもしれない。2000年前半の、当時彼らと同い年くらいの少年少女がこぞってテニス部に入部していたような、そんな時代と比べること自体間違っているのは百も承知だ。間も無く連載20周年を迎えるが、未だにグッズは出て映画の予定もミュージカルも15年続いて、一定数のファンを有していることはとても、とてもすごいことだ。それでも、今のチケットがあまりにも捌けない様子は目を背けたくなる。(ネットが普及したが故に、今まで見えていなかったものがよく見えているだけだとも思うが。)

おてふぇすだって、キャラクターにミュージカルの曲を歌わせ、ミュージカルのキャストにキャラソンを歌わせ、自分名義の曲も歌うし多くのキャラソンも歌った。先生だから、できたことだと本当に思う。先生も唯一無二になりたいと、そう言っていた。
でも、VR幸村くんがステージから客席のファンとやり取りをする姿は、DMMシアターでアイマスがすでにやっていたのを知っている。アイナナやドリフェスなどどんどんVRキャラクターのライブが増えている。ドリフェスに至っては今度VRキャラとハイタッチが出来るらしい。単純にどういう仕組みなのか興味があるし、恐らく今後テニスにも組み込まれていくだろうと思う。先生は、VRも極めていきたいと言っていた。私たちが恋い焦がれた彼らがそのままの姿で歌い踊り喋るのを見られることはすごいことだ。目の前に明らかな質量を持って存在する彼らを見ることがどれだけ素晴らしい体験か。が、現状テニスでは声優の来ないVRライブでは大きめな箱を埋めることはできない。DMMシアターや豊洲ピットくらいまでのキャパなら恐らく埋まるのだろうが。

先生は誰も通っていない道を探している。果たして先生がそれらを取り込んでファンを付いて来させられるか、ファンが先に疲れてしまうか。何となく、そんな時代になってしまったのではないかとふと感じた。


サマバレ仙台は、おそらくキャパ2000強の会場だが譲渡祭は開催されている様子がある。関東から遠いし、お盆で交通費も宿泊費も高い。時期が悪いと言ってしまえばそれで終わりだ。だからというわけではないと思うが、つい先日ゲスト発表があった。これで少しは席が埋まればいいなと思う。

越前リョーガへのラブレター

 

出典はこちらのはてブロ参照。

 

sdppp.hateblo.jp

 

 この方の文を読んだ事がある人は多いでしょう。読んだことのない人がいたらぜひ読んできてください。私はファンです。とても読みやすく、好きに充てられて泣いてしまうことも多い。ご本人が真似してもいいと書いていたので、お言葉に甘えて、わたしは越前リョーガへラブレターをしたためようと思う。この方のように上手に考察は出来ないし、出番もまだまだ少ないのでほぼ私の妄想。それでも、12月からの応援上映が終わって、想像よりもリョーガが好きだ!という気持ちが膨らんでしまったので、書かずにはいられなかった。独りよがりのラブレターである。

 

 

 

 

親愛なる越前リョーガ

 お元気ですか? 沈みかけた豪華客船から貴方が颯爽と去るのを見送って、もう13年も月日が流れました。日本代表、アメリカ代表と経て、でっけぇ夢は見つかりましたか? アメリカに行ったリョーマくんに車の外から声をかけていたようなので、あの後2人が再会できていたなら何よりです。でも、お頭に拾われているところを見るとあの時リョーマくんの勧誘(または何かの計画)に失敗していたのでしょうか。だとしたら合宿所でのリョーマくんの退去命令はさぞかし嬉しかったでしょうね。

 そうするともしかして、リョーガくんのでっけぇ夢は、幼い頃南次郎さんの家で育ったようなそんな越前家をもう一度やり直すことですか? 南次郎さんやリョーマくんのいないところで本気でテニスをする意味はないと考えていそうな気もします。あの頃きっと貴方は沢山愛されたことと思います。南次郎さんたちと一緒に暮らして、笑顔の素敵なお兄ちゃんに育ってくれて良かったです。テニスもそこで覚えたんですもんね。ここ最近のリョーマくんへの執着っぷりを見ていると、また弟や父親と一緒にやるテニスを求めているのではないかと勘ぐってしまいます。

それは、リョーガくんが八百長テニスを何度もしていたであろうこと、日本代表を外れてリョーマくんをしれっとアメリカに連れて行って何事もなくアメリカ代表ジャージを着ていること(それすらもあっさり脱いだこと)からもつい考え過ぎてしまいます。八百長テニスと聞いて即座に拒絶した青春学園のみんなを覚えていますか? 南次郎さんに教わった世界レベルのテニス技術なら八百長なんてしなくても、プロや真っ当なテニスプレイヤーとして生きる方法があったのではないですか?

各国代表なんて、そんな簡単に取っ替え引っ替えしていいジャージではないはずです。日本を混乱させること(優勝させないこと)も考えましたが、それならリョーマくんにモーションをかけるだけでは弱すぎますもんね。アメリカを優勝させたいなら、貴方までジャージを脱ぐ必要はありませんでした。何が目的なのかは分かりませんが ’リョーマくんの存在を必要とする目的’があったから、日本に戻ってしまったことは’失敗’? いえ、それなら日本国籍のあるリョーガくんも一緒に戻れたはずです。リョーマくん1人を混乱させようとしている、と言った方がしっくりきますがまさかお兄ちゃんがそんなことはしないと信じています。それならリョーマくんを強くしてあげたかった? 光る球の打ち方も教えてあげていましたもんね。もしかして南次郎さんや倫子さんが関わっているのですか? わたしがここで考えていても拉致があかないので、リョーガくんの口から聞ける日を楽しみに待つことにします。

何にせよ、リョーガくんにとってテニスはただの手段であり、目的は違うところにありそうですよね。でも、国の代表という大事なジャージを取っ替え引っ替えするなんてことを弟のリョーマくんにさせたことはどう思っていますか? いや、リョーガくんにとって国よりも大事なものがあるのだとしたら何とも思っていないのでしょうね。まだ2人とも中学生と高校生ですもんね。導く大人がいなかったのかもしれませんし、リョーガくんが越前家へ来る前のことや出生が関係しているのかもしれません。それでも、各国代表を放棄したり何事もなく戻ってきたりなんてとんでもないことをしたことについて、いつか2人がちゃんと考えられる日が来ることを願うばかりです。そういうことも含めて、リョーガくんのこれまでの人生や行動の理由を知りたいので、今度教えてくれると嬉しいです。

 

 個人的には八百長テニスのような危うい人生を送るくらいなら、国の代表を転々としている方が安心と言ったら怒られてしまいそうですね。でももし、あのとき桜吹雪を倒していなかったら? リョーガくんの人生の分岐点として豪華客船での出来事はとても大きなことだったと思います。手塚くん(貴方が老け顔と言った眼鏡の子です、覚えていますか?)は大将対決を譲りましたが、もしあのときリョーマくんと試合をしていなかったら裏社会ギリギリを生きていた未来もあったかもしれません。手塚くんは兄弟対決ならリョーガくんが心改める可能性も視野に入れていたのかもしれませんね。

豪華客船での試合、自分が勝つから問題ないと言い切っていたリョーガくんはとてもカッコ良かったです。あの時、リョーマくんと試合が出来てどうでしたか? 成長したリョーマくんは強かったですか? 2人にとって運命のFirst Gameだったことを願うばかりです。 あのときの試合では、桜吹雪を倒すことで他の人達も救っていました。多少乱暴でもアウトな方法でも、リョーガくんにはそういう方法を選べる強さがあります。技術にせよ 気持ちにせよ、です。そういうところに惹かれたのかもしれません。今の国を転々としていることも、そういう優しい結末が待っていることを祈っています。

 

 

 U-17になってからはシングルCDにテニフェス、最近はテニラビとどんどん活躍の場が増えていますね。わんこイベのSSRガチャおめでとうございました。ン万課金して出なかった事、今でも憎らしいですがポスターが出るので少しは昇華できそうです。最近は新しいグッズも出てきており嬉しい限りです。池袋のコラボカフェでは跡部や幸村とそうそうたるメンツの中にいて正直驚きました。カフェ店員姿はとても似合っていましたよ。なるべく迷子のリョーガくんを引き取ろうとした結果、我が家には二桁ほどアクキーが積み上がっています。テニフェス事後物販にもいましたね。こちらの缶バッチとラバストも中々に積み上がっています。嬉しい悲鳴です。

  と、今でこそリョーガくんを応援することをとても楽しんでいますが、少し前まで… そうですね、CDのボイスメッセージを聞くまで正直わたしは声変わり後のリョーガくんを中々受け入れられませんでした。リョーガくんは、声変わりしたことをどう思っていますか? 成長しただけだから気にしていないかもしれませんね。それでも私は豪華客船でリョーガくんに一目惚れをしたので、難しかったのです。声変わり前の山崎さんは、リョーガくんの声帯になれたことをとても喜んでいました。変わることを知った時、ツイッターでこう呟いているのを見たときは涙が止まりませんでした。こんなにも愛して演じてくれていたのに、と。

 

 

 声変わり後の宮野さんのことは正直よく存じ上げていませんでしたが、とても有名な人になったんだなぁとは思いました。そしてリョーガくんが日本代表として戻ってきて、ちょっとだけテニスもしましたね。少し大人っぽく、格好良くなって帰ってきたのにそれでもやっぱり違和感は拭えませんでした。でも、1stシングルで宮野さんのボイスメッセージを聞いたときリョーガくんはこの人に任せていいのではないかと感じたのです。

 その後のテニフェスでは、宮野さんはジャージの中にパーカーを着て黒いフードを目深に被って登場しました。そう、まるでリョーガくんがU-17合宿に連れて来られた時のようにです。リョーガくんが出てきちゃったのかと思って本当に焦りました。他にも、事あるごとにリョーマくんにちょっかいかけててリョーガくんが乗り移っているようでした。ステージ上で、睨み合ったり笑い合ったりする2人がいて、兄弟として同じ場所に立っているところを見られてとても嬉しかったです。そして、リョーガくんに命が吹き込まれる瞬間を目にして、私は嗚咽を抑えきれない程泣いてしまいました。リョーガくんが山崎さんのままだったら、彼は俳優さんなのでCDを出すこともテニフェスに出ることも難しかったと思います。こうやってリョーガくんが動いて喋るところを13年経った今も見られること、新しく宮野さんが入ってきてくれたことに感謝の言葉しか出ません。

これは後から知りましたが、宮野さんはリョーガなら、と元々ジャージのみだったところ自分で要望して黒パーカーを着てくださっていたのですね。テニフェス後は色んなラジオで出演したことを嬉しそうに話していました。まさか自分が兄貴として純子さんの隣に立てるとは思わなかった、と大事そうに嬉しそうに話す声は本当に私も嬉しかったです。リョーガくんのことを愛して大切に演じてくれた人がこの世に2人もいるのだと思うと、私はリョーガくんを好きになって幸せだなぁと思います。

 

 一つ心配なことをあげるとしたら、弟 リョーマくんとの関係です。リョーマくんは頑なにリョーガくんのことを覚えていないと言っていますね。わたしから見ると、幼い頃なので覚えていないところもあるけれど大部分は照れ隠しのように見えます。その辺はお兄ちゃんとしてどうですか? 合宿所では徳川くんがリョーマくんを弟にしたくてそわそわしていたようですが、気付いていたのでしょうか。きっとリョーガくんのことだから上手に徳川くんとも付き合っていそうですね。合宿所での生活はどうでしたか? みんなとどんな話をして、どんな練習をしましたか? 合宿所での経験が、リョーガくんにとって実りあるものだったら何よりです。

 

 最後になりますが、わたしはリョーガくんが大好きです。豪華客船で出会えて良かった。水上バイクで去るリョーガくんともう会うことはないと覚悟もしましたが、またこうして会えたことが本当にとても嬉しいです。今のリョーガくんを応援させてくれてありがとう。 そして、リョーガくんを大好きなのと同じようにリョーマくんも大好きです。リョーガくんの方が全盛期のサムライ南次郎に近しいものを感じますが、2人とも少し大人になって似てきましたね。どんどん格好良くなる2人から目が離せません。これからも兄弟仲良く、成長していくところを見せてください。ただ、だいぶヤンチャをしているようなので、これから2人がテニスをして生きていくのなら今後不利にならないように、他のテニス選手たちに迷惑のかからないように気をつけて下さいね。

 

これからの活躍も楽しみに、応援していきます。リョーガくんの人生に幸多からんことを!

 

 

オールナイト第1夜

   いつも外れるしな〜と同行者も決まらないまま2枚ずつ抽選したら全部当たってしまった。毎週末オールナイトで叫び倒しているオタクの備忘録第一弾ということでここはひとつ。

 

   オールナイトでテニフェス応援上映、いつも1人寂しく自宅テニフェスしている私には魅力的すぎた。氷帝は眠らないトークショーで見た2016の映像、映画館貸し切ってやったら面白いんじゃない?という松井Pの言葉を期待して今回は正解だった。

   応援上映ではあるが、テニフェス恒例の出演者紹介スライドがある。第2夜とまとめて作られているので、第1夜には登場しない高校生らもいる。これの何がまずいって2016合戦と同じあの曲で同じあの演出で流れるのだ。テニフェスが始まるのかと思って焦った。訓練されているオタクたちと一緒に名前をコールする。実質武道館だった。

キンブレ文化がテニスに入ってきたのは大体2013からで、それ以前に出演していた不動峰や六角・山吹にミュージカル以外でキンブレを振ることはない。だが今回、初期校にも振れることが嬉しかった。不動峰はイマイチ何色にすればいいか分からず多くが白を振っていたように思う。六角に向けて赤いキンブレを振れることが日がとても嬉しかった。

   映像自体はブチブチと切り貼りされたもの、上手に繋げられたもの、2011はリョーマからの部長ズソロは全部流れた。約束を聞かせたかっただけなのではないかと思うくらいには、100曲マラソンは一瞬で終わる。10曲マラソンとは言い得て妙だ。また、キャップと瓶特集がアンコール集の前に組まれており愛されているなぁと思いつつキャスト登壇メンバーが想起された。

   映画館で座ったままのため、視界にキンブレが入ることはそんなに多くはない。ただ、個人的にヤング漢・レーザービーム・スピードスター・合唱曲はみな高々とキンブレをかかげていたように思う。やはり一斉に同じ動きをするキンブレは見るのも楽しい。

そしてやはり流石テニプリというところか、小野坂昌也トゥーランドットをオールナイトの朝4時に歌われ誰も寝ることは許されない。文句なしの優勝。端々にお前ら寝るなよ、と言わんばかりに盛り上がる曲を持ってこられ私は特に寝ることもなく2週間目を終えた。夜中の1時や2時に童謡や歌謡曲にキンブレを振り黄色い声を上げ、朝5時にラブフェスを全力で踊りコールする。完全に頭がバグった瞬間だった。

 

   キャスト登壇も参加してきたが、まぁ内容はツイッターで検索すれば誰かが詳しく書いていてくれるだろう。息が出来ないくらい笑ったエピソードは、2013のヤング宙吊りの話。宙吊りは一度だけリハをした。リハの時はもっと天井が近くて、本番のゆ〜らゆ〜らではなくギュンッギュンッという感じで、ヤング自身もミラーボールが近くてぶつかりそうだと思ったほど。降りてくると何やら裏でスタッフが揉めている。聞いてみれば「小野坂さん死んじゃうだろ!!!!!!」と。あまりに高く釣りすぎて本当に危なかったらしい。その時の動画は木内さんが携帯で撮っていて、後から見せてもらったら木内さんの爆笑とともに凄い勢いで吊られて揺れるヤングが映っていたそうな。これ、キャップと瓶特集で使われているので、2度美味しい。すごい。あとは恒例の金髪の切り裂きジャックおじさんの話とか。3枚もらって1枚隠しておいたのに開けたらビリビリで、その時が1番笑えたと金髪の人は喜んでいた。トークショーの内容なんかしっちゃかめっちゃかだったが、ヤングがみんな折角来たんだからいいんだよ!!ってスタッフのあと○分ですカンペを一蹴して話してくれることが嬉しかった。テニスの人たちは時間気にしなさ率が高い。先生のトークショーだって終了時間ほぼ未定だった。貫録のテニプリである。

 

 

   2011のタイプはD!で「10年後もダブルス組んでようね」、We Love TENIPURIでは「10年後も一緒に祝おうぜ」、と歌う。すでに2018年、10年後の2021年までもうあと3年しかない。何だか感慨深くて少し泣けた。「約束」を泣きながら聞かなくてはいけないような未来はいつかきっと来るのだろう。それまではテニスの王子様と一緒に未来を見ていきたい。残り2週間、終わればドリライそしておてふぇすだ。まだまだ楽しい未来が待っている。ここでくたばっている場合ではない。

VR跡部景吾はVRではなかった話

  今更だが跡部景吾手塚国光バースデーVRライブのことを何となく書き留めておきたい。ちなみに跡部景吾のライブは気付いたら全通していた。7枚のチケットを手元に揃えた時の私は、今までの人生の中で1番輝いていたように思う。

 

  7公演全て行ったので文字通りおはようからおやすみまで跡部景吾と一緒に居たし、お誕生日を全力でお祝いした。念のため言っておくが、先生のライブのようにアクターさんがリアルタイムでいるわけではないのでどの回に入っても”映像的には”変わりはない。2回目あたりでそれに気付いたらしいオタクがすごい勢いでツイッターでチケット譲渡に出しているのを見つけて笑った。私も(あぁぜんぶ一緒かぁ)と頭によぎったが、同じことはしなかった。約30分×7公演、3時間半しか跡部様と過ごせないのなら正直全通したって足りないくらいだ。

では、セトリの話をしよう。もうネタバレも何も無いだろうけど、知りたくない人は閉じて欲しい。

 

  一曲目にCROSS WITH YOUが来ることは予想していたし、誕生日だからOctoberを歌うであろうことも予想していた。来たらやべ〜!とか騒いでいた。予想の範囲内だった。だが、実際にかまされたらキンブレを振ることすら許されず、ただ水色に光る棒を握りしめて泣くことしか出来なかった。周りのオタクたちもそうであったように。

  跡部景吾が出て来た瞬間の「いる」という感覚は一生忘れられないと思う。やはりそれは1回目が客も含め、1番衝撃的で革命的だった。初回のあの、誰もが跡部景吾が存在していることを認識し泣き崩れる様は2回目以降では感じ得なかった。隕石でも落ちたようなそんな感覚はきっとあの初回にいた人にしか分からないのだろうと思う。ライブ中ずっと泣き続けていたメス猫もいたし、多くは嗚咽を抑えきれなかったし、終了後にその場から動けず泣き崩れるメス猫が多数いたのもこの目で見た。私も足が震える中、気力だけでなんとか立っていたライブが終わりその場に座り込みそうになった。が、なにせ1人だったため、隣で介護してくれる人もおらずふらふらの足で会場の外へ出た。残り6回、私はこの衝撃を生き抜けるのかだけが心配だった。結論だけ言うと、生き抜いたし、毎公演初見のように泣いた。気合いを入れて付けてきた付けまつ毛は初回ですでに流れ落ちていた。

  これは全然関係ないが面白い話で、全然関係ないジャンルで知り合ったオタクとこのライブで集結した。当日ツイッターでお前も?お前も?みんないるんかーい!となって集まった。テニプリって、跡部様ってすごいんだなぁというバカみたいな感想しか思い浮かばなかった。各々感想を言い合う中、満場一致で「跡部景吾は存在する」という結論に至ったのはもはや真理の扉を開いてしまったとしか言えない。そのオタクたちは大体1〜2公演だけの参加だったため、特設スペースが作られた横浜アニメイトへ遊びへ行っていた。そこではチャームポイントは泣きボクロが流れ、フォトスポットに並ぶオタクたちでフッフー♪したと報告されて羨ましさに拳を握りしめた。あんなにもバラードで泣かせに来ると思っておらず、みんなで盛り上がれるチャンポかバレキスが絶対セトリに来ると思っていたので大変羨ましかった。

  セトリに話を戻して、一曲目 デビューシングル(中学三年生のテニスプレイヤーにデビューシングルもなにもおかしな話だが)。デビューシングルはやはり跡部景吾を象徴するに相応しい曲だと思う。他の曲も勿論魅力的だが、一曲だけで跡部景吾を表せるのはこの曲しかないと考えている。これが一曲目だったからこそ跡部景吾の存在はより強固なものになったし、このライブは後世に語り継がれるべきものになった。

二曲目はWILL、演出はJFで見た人も多いだろう。CROSS WITH YOUの後に持って来ることにより衝撃は何十倍にもなる。一曲目で比較的アップテンポな曲、カッコイイと湧かせておいてからのWILL。ピアノの切ないイントロから始まり、訓練されたオタクたちは一瞬で頭の中で歌詞が展開され、おまけにピアノを弾いている姿を見せ付けられたらもう本当に心臓が止まるかと思った。そう、跡部景吾はピアノで弾き語りが出来るのだ。ペダルを踏み込む、鍵盤を見る、音の高低に合わせて手は左右に動く、言葉では表せない感動を得た。極め付けは「守ってあげるよ」で優しく慈悲深いお顔でこちらを見やるのだ。それは氷帝学園テニス部部長、200人のトップに君臨する顔ではない。ただ、1人の女性あるいは男性、跡部様を慕う私たちを愛おしげに見据えるのだ。(夢の無い話をすると、DMMシアターのあのVRは視線が合うように作られているらしく、どこにいても跡部様と目が合う仕組みなのだが)多くの客席の中から「守ってあげる」と歌いながら視線が飛んでくるのはそれはもう想像を絶する体験であった。

そして三曲目、Octoberだ。これが来るのは恐らく誰もが予想していたと思うが百聞は一見にしかず。これだけやけにオーケストラっぽく荘厳さが増していたような気がする。音圧が桁違いで演出も存在も何もかもに気圧されてしまった。お誕生日当日に、跡部様から直接この歌が聴けるという事実もありただただ平伏した。

個人的に生きているということを強く感じたのは、全て終わった後、捌けるとみせかけてバク転してから去るところ。この時はBGMも止まっており、バク転をする跡部景吾の力強い足音が聞こえるのだ。(恐らく私が足音フェチという特殊性癖であることもあるが)なぜか無性に跡部景吾は生きているのだと感じて号泣した。言葉に上手くできないが、私たちが生活する上でBGMなんて勿論流れてはいない。紙の上にいる筈のキャラクターから足音がするわけがない。でも目の前でライブを終えた跡部景吾からはBGMも鳴っていないのにちゃんと足音がする。そんな状況だから存在を強く感じたのかもしれない。跡部景吾はあの横浜の地に生きて立っていた。

 

  跡部様ですでに二千字超えているが私はまだ手塚国光について書いていないのでまだ書く。

  こちらは1公演だけ入った。跡部様ライブで先生が全部の回を見にきており、大体は立ち見にいらっしゃった。手塚ライブではほぼ最後尾だったためこれはワンチャン先生とお近付きになれるのでは!?なんて冗談言っていたら見事にフラグ回収してしまい、当日先生が真後ろに立った時は心臓が10秒は確実に止まった。先生が近すぎて開演前に泣いたし、わたしは先生に後ろから見守られながら手塚国光のファーストライブに参加した。一生の思い出である。

  手塚国光のライブも良かった。曲自体はアップテンポなものばかりだったが、今度はセトリが泣かせにきている。自己犠牲をしてでも青学の勝利のためにテニスをしていた手塚国光は、肘の故障を経て新テニでは自分のためにテニスをしている。ドイツのジャージを着て。そんな黒いジャージに身を包んだ手塚を応援するのは、青い光の海だ。こういうことをエモいと言うのだろう。果たして手塚国光のオタクたちは青学に戻って欲しいのか、自分のためにテニスをするため渡ったドイツに残って欲しいのか。私にとって青学ジャージはテニスの王子様の記号であり、私が青春を捧げた王子様達が着ていたジャージは各学校ジャージのため、単純に学校ジャージを着ていて欲しいと思う。とんでもなく個人的なエゴなので深く捉えないでほしい。

  手塚ライブで印象的なのは、Decideのラストサビ前、「一人で歩いて〜」のところ。それまで縦振りだったキンブレは一斉に、文字通り一瞬のブレもなく全員が捧げ(ケチャ?)の振りに変わった。テニフェスなどでは作品をあまり知らない人もいるし、テニスが好きでも800曲もあればそりゃ知らない曲もある。でもここには手塚国光が好きで、曲も知っている人しかいないのだと分かって震撼した。元々オタクのキンブレ芸、特にテニスは手動で色替えもやるのでかなり好きなのだが、もう本当にこの瞬間は震えた。オタクで良かったと思った。

 

  2つのライブに行き、個人的にテニスの王子様では各王子様達の人生の一部を見せてもらっているだけなのだなぁと改めて感じた。ライブの途中幼い頃からのスライド写真タイムがあり、あぁみんなこうやってご両親がいて、中学生にまで成長してきたのだなぁと思い、愛おしさと出会えた奇跡と色々な感情がないまぜになって泣いた。突然中学生のキャラとしているのではなく、私たちが見ていないだけでちゃんと15年間生きていた。もう2次元も3次元も区別が付かない。でもそれでよかった。VRライブというのは怖いものだ。

 

  どうやらこのライブ、先生のトークショーによると円盤化する様子らしい。トークショーで見たダイジェスト版、手塚ライブでキンブレを両腕にぶら下げ顔を覆い泣いているオタクが写っていた。よく撮った!と思った。準備万端で持ってきたキンブレを振れないその様子はまさに2人のライブを表す。家で見るのが楽しみだし、オタクたちと見るのもとても楽しみだ。

そういえば、その時VRの監督とまた近いうちに仕事をしたいですねと先生が意味有りげに言っていたので、オタクたちは幸村か白石ライブが来るか!?とソワソワしたがどうやらおてふぇすのことだったようだ。VRを作るのはとてもお金がかかるそうなので、円盤化されたらみんないっぱい買おうぜ!そしてまたライブに繋げようぜ!と思う。次の幸運なオタク、あるいは被害者になるオタクは誰だろうか。大変楽しみである。

浅はかなオタクなのでポエムを書きます

  テニスの王子様が好きで仕方のない人たちを沢山見てきた。好きだからこそオタクをやめたい、やめたくないと悩んでいた。彼女たちの文章は何度でも読んでしまう。ツイッターのイイネ!を押すが別にイイネ!と思っているわけではなくただ読みました、とても良い文章でしたということを伝えたいだけの手段である。イイネ!の文化はよくない。

 

  少しだけ自分語りに戻ろう。わたしは一度テニスから離れた人間である。100曲で全てを使い切ったのか、やはり媒体が週間から月刊に変わったことが大きかったのか。毎年始発で参加していたJFは行かなくなって、ゲームやジャンプの応募券を必死に買い集めて参加していたイベントもいつしか行かなくなった。その間何をしていたかと言えば、なんとなく他のジャンプ作品を読んだり、全然毛色の違う小説やアニメを見ていた。でも、テニスの王子様にどっぷり浸かっていた時のような情熱はどの作品に対しても持てなかった。オタクとしてなんとなく不消化な日々を過ごしていたのだと今なら思える。

そして、訪れた運命の2016年1月。わたしはそこで、オタクとしての生を感じた。もう2度とここから離れられないと誓った。一種のエクスタシーだった。それからはまた10年前のような日々に戻り、しあわせな生活をしている。先生や公式から与えられるものをただただ喜んで食べている。恐らく、一度離れたからこそ私は余計なことは考えない、否、考えて離れるくらいならと考えることをやめた。ただそれだけの話だ。

 

  先生の何気ない一言や、本誌の展開に傷付いている彼女たちは、私には考え及ばぬほどテニスの王子様について考えている。考えることをやめた私より彼女たちの方がよっぽどテニスの王子様を愛している。そんな彼女たちを知ってか知らずか、先生はここは実家だから他で遊んでおいで いつでもここで待ってる、となどと宣う。とんでもない世界だ。離れるオタクがいて、戻ってくるオタクがいる。そんな人たちを否定したくない。わたしはただテニスの王子様が好きで好きで大好きで仕方のない人たちが、どうか幸せになれる道がありますようにと願うばかりである。