ここでサーブを打ちます

好き勝手に喋る

2016年が終わるわけで

    とりあえず、2016年は個人的にテニス年だったなと思う。約10年振りにテニス沼へ2度目の沈没を果たした記念年。見事な転がり落ちっぷりなどと供述しており……。

と、いうわけでちょ〜個人的に2016年は転機の年だったなと将来の私は思うのでしょう。

 

    まず1月のサプライズLive

    これでテニス沼へ華麗なる飛び込みを果たした。このライブで何が大きかったって、氷帝コールをしたこと。約10年振りに跡部様の下で氷帝コールをして、誇張ではなく「あぁ、わたし帰ってきた…生きてる…」と。

これがもう全ての終わりで始まりだった。約10年、テニスに片足突っ込みながらも半身以上は他のジャンルに浮気をしてきた。だが氷帝コールをした時に生きてるということを無性に実感して、同時に私の帰る場所はここだったのか〜ただいま〜!という気持ちでいっぱいだった。帰ってきました、テニスの王子様に。

どう足掻いても私の原点はテニスの王子様で、跡部様ということを身をもって知ってしまったので私は一生ここから出られないのだろう。

    と、いうことで実は当日の行きの電車の中でまで行こうかどうしようか悩んでいたとは思えないほど清々しい顔で豊洲ピットを後にした1月でした。だって初めてのライブでスタンディングでしかも1人だったんですもの……。

 

    期間はすこーし空いて6月のテニプチ。

    ぶっつけ本番したソロライ、もうびっくりするほど曲が!わからない!が、なんか分かんないけど楽しい!ということは伝わるからすごい。と、いうことでテニプチに向けてテニス曲の復習と新規曲を頭にブチ込む作業が約5ヶ月間で行われる。その甲斐あって、テニプチでは全部の曲を知ってるぞ!コールも振り付けも分かるぞ!チャレンジでやった!!状態で楽しんだのでした。やったね!

    テニプチはラス回に運良く入れまして、この時点で今年2度目の先生と純ちゃん。そして最後のアンコール代わりのENJOYは私の大切な思い出です。

 

    そして10月!テニフェス!!

    テニプチの時点でというか公式最速先行で友人たちが当ててくれて全通が決まっていたのでチケットを!チケットを!!という焦りはなく参戦。初めての武道館、初めてのテニフェス。自分がその場にいたなんて今でもちょっと不思議な感じがしている。

    最近は年の所為と限界オタクなのが相まって涙腺ガバガバなので、駅に着いてテニス装備のお仲間がいっぱいいるのを見てまず泣く。早い。そして武道館に着くまでの坂、ええ、あの坂です。この坂を登れば君に会いに行ける坂です。登ればみんなに会えます。完全に歌が思い出されて泣く。まだ始まってもいません。松では友人が後から来るので私は1人でとりあえず中に入った。移動中外の通路から中が見える→ここで二階席!?嘘でしょめっちゃ近い!!で泣く。開演まで1時間あります。と、開演までにはちゃめちゃに泣いてるせいか公演中はそこまで泣いた記憶はない。アドレナリン放出しまくりなのと、目に焼き付けねば!という使命感で泣いてる場合ではなかったのだと思う。泣いたら視界が悪い。イチガンと理由は毎公演しんだが仕方ない。梅では最後のリップ音にその場に崩れ落ちました。仕方ない。

    松はもう謙也ショックで記憶が曖昧なの本当に謙也ずるいな。1番長く氷帝コール出来たのが松だったかと。私生きてる!とイキイキコールしていた。幸せだった。

    竹は書くと長くなるので端折ると、アフレココーナーで3公演中1番の大号泣をかましてしまった。嗚咽漏らしながらテニフェスタオルで涙を必死に拭って視界をどうにかしようとしながらボロボロに泣いた。そんなに泣くと思わず自分でびっくりした。映画の時からリョーガが好きで、目の前で命を吹き込まれてリョーマとやり取りするリョーガを見たら映画公開からの11年がぶわっと溢れて涙は止められなかった。なんなら竹は宮野がフード被ってきた時点で泣いてたし、宮野がステージにいる間はずっと泣いてたような気がする。これだから限界オタクは。

    梅は私よりも周りが泣いてたなぁと思う。白石・大石サプライズはもう四方八方から嗚咽が聞こえてきて、キャストが追加されなくとも痛バや装備で来ている各推しのオタクを2日間で沢山見て来たので、そんなみんなが救われて良かったなぁと思って泣いた。隣にいた白石の女はボー然と突っ立っていた。わかる。あと先生がステージ上がってくれて泣いた。震える手で急いでキンブレを白に変えた思い出。先生大好きすぎる。冷静になって後から思い返すと泣いてしまうことが多い。公演後からはグロリアスですぐ泣く芸人をしている厄介なオタクです。

 

    これは公式ではないけども、JF1週間前にE&Yパーティーが運良く取れたので参加してきた。

    仁王と柳生とゲストはブン太。めちゃめちゃに近い席が取れて、目の前でお食事しながら3人のトークと生パフォーマンスを見るという贅沢な遊びをしました。実際に乾杯でグラスを交わせたしすごい。そこで最後の曲に3人でレーザービームを歌ってくれる演出!武道館とは、アリーナとはなんだったのかという近さで3人のレーザービームを聞いて一緒に歌って、とてもよいレーザービーム納めになりました。いや本当に近いし一緒に写真撮れるし普通に喋れるし武道館に立ってた人と同じ人か疑ったわ。

 

    最後に12月のJFスーパーステージ。

    朝の7時から外の待機列に並び、中に入れたのは9:15くらい。そこからずっと(テニスのステージは13:50から)空気の篭ったスーパーステージ前に待機。正直死にそうだったし、よく風邪も何ももらってこなかったと思う。私の免疫系がすごく仕事していた。ただし久しぶりのスパステは立ちっぱなしで完全に修行だった。そんな修行に耐えたこともあり、ステージサイドの最前をゲット。ハイキュー待ちの人が何かを察して後ろに移動して下さったおかげです。テニス民そんな異様な空気だったかな!?

ステージ中は跡部様にマイクを向けられて煽られたり、真田が近くて黄色を振ってたら絶対に真田と目があったり(と言ったもん勝ち)めちゃめちゃ楽しかった…近かった…。そして何よりもテニプリを支えてくれてありがとうを最後の最後に歌ってくださり。わたしこれ、1月のソロライで全然上手にコールが出来なくて本当に悔しかった曲で、JFで完璧にコール出来て、個人的に約1年越しのリベンジ叶って嬉しかった曲。何よりも今年最後の先生やリョーマくんに会える機会で、1月のソロライ、テニプチ、テニフェスと経て、今年最後の曲がテニプリを支えてくれてありがとうだったことに先生の意図を勘繰ってしまう。こちらこそ1年支えてくれてありがとう。

 

    2016年はこんな感じで許斐王国に住民票を移しました。怒涛の1年でした。来年もお世話になります。

 

 

    これは余談で、あとでJFステージのニコニコを見たけどテニスだけ異様だった。統率の取れた輝くキンブレ、ブレのない振り付け、完璧なコール、あんなのに前で囲まれたらトラウマなのではと思ってしまう。他オタからの後ろから見てても楽しいという感想をツイッターで見掛けてオタのキンブレ芸も演出の一部みたいになっていたようで良かった。JFは他のオタクも沢山いるから、テニスを褒めてもらえるととても嬉しい。

 

3000文字も書いてしまったのでおわり!