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VR跡部景吾はVRではなかった話

  今更だが跡部景吾手塚国光バースデーVRライブのことを何となく書き留めておきたい。ちなみに跡部景吾のライブは気付いたら全通していた。7枚のチケットを手元に揃えた時の私は、今までの人生の中で1番輝いていたように思う。

 

  7公演全て行ったので文字通りおはようからおやすみまで跡部景吾と一緒に居たし、お誕生日を全力でお祝いした。念のため言っておくが、先生のライブのようにアクターさんがリアルタイムでいるわけではないのでどの回に入っても”映像的には”変わりはない。2回目あたりでそれに気付いたらしいオタクがすごい勢いでツイッターでチケット譲渡に出しているのを見つけて笑った。私も(あぁぜんぶ一緒かぁ)と頭によぎったが、同じことはしなかった。約30分×7公演、3時間半しか跡部様と過ごせないのなら正直全通したって足りないくらいだ。

では、セトリの話をしよう。もうネタバレも何も無いだろうけど、知りたくない人は閉じて欲しい。

 

  一曲目にCROSS WITH YOUが来ることは予想していたし、誕生日だからOctoberを歌うであろうことも予想していた。来たらやべ〜!とか騒いでいた。予想の範囲内だった。だが、実際にかまされたらキンブレを振ることすら許されず、ただ水色に光る棒を握りしめて泣くことしか出来なかった。周りのオタクたちもそうであったように。

  跡部景吾が出て来た瞬間の「いる」という感覚は一生忘れられないと思う。やはりそれは1回目が客も含め、1番衝撃的で革命的だった。初回のあの、誰もが跡部景吾が存在していることを認識し泣き崩れる様は2回目以降では感じ得なかった。隕石でも落ちたようなそんな感覚はきっとあの初回にいた人にしか分からないのだろうと思う。ライブ中ずっと泣き続けていたメス猫もいたし、多くは嗚咽を抑えきれなかったし、終了後にその場から動けず泣き崩れるメス猫が多数いたのもこの目で見た。私も足が震える中、気力だけでなんとか立っていたライブが終わりその場に座り込みそうになった。が、なにせ1人だったため、隣で介護してくれる人もおらずふらふらの足で会場の外へ出た。残り6回、私はこの衝撃を生き抜けるのかだけが心配だった。結論だけ言うと、生き抜いたし、毎公演初見のように泣いた。気合いを入れて付けてきた付けまつ毛は初回ですでに流れ落ちていた。

  これは全然関係ないが面白い話で、全然関係ないジャンルで知り合ったオタクとこのライブで集結した。当日ツイッターでお前も?お前も?みんないるんかーい!となって集まった。テニプリって、跡部様ってすごいんだなぁというバカみたいな感想しか思い浮かばなかった。各々感想を言い合う中、満場一致で「跡部景吾は存在する」という結論に至ったのはもはや真理の扉を開いてしまったとしか言えない。そのオタクたちは大体1〜2公演だけの参加だったため、特設スペースが作られた横浜アニメイトへ遊びへ行っていた。そこではチャームポイントは泣きボクロが流れ、フォトスポットに並ぶオタクたちでフッフー♪したと報告されて羨ましさに拳を握りしめた。あんなにもバラードで泣かせに来ると思っておらず、みんなで盛り上がれるチャンポかバレキスが絶対セトリに来ると思っていたので大変羨ましかった。

  セトリに話を戻して、一曲目 デビューシングル(中学三年生のテニスプレイヤーにデビューシングルもなにもおかしな話だが)。デビューシングルはやはり跡部景吾を象徴するに相応しい曲だと思う。他の曲も勿論魅力的だが、一曲だけで跡部景吾を表せるのはこの曲しかないと考えている。これが一曲目だったからこそ跡部景吾の存在はより強固なものになったし、このライブは後世に語り継がれるべきものになった。

二曲目はWILL、演出はJFで見た人も多いだろう。CROSS WITH YOUの後に持って来ることにより衝撃は何十倍にもなる。一曲目で比較的アップテンポな曲、カッコイイと湧かせておいてからのWILL。ピアノの切ないイントロから始まり、訓練されたオタクたちは一瞬で頭の中で歌詞が展開され、おまけにピアノを弾いている姿を見せ付けられたらもう本当に心臓が止まるかと思った。そう、跡部景吾はピアノで弾き語りが出来るのだ。ペダルを踏み込む、鍵盤を見る、音の高低に合わせて手は左右に動く、言葉では表せない感動を得た。極め付けは「守ってあげるよ」で優しく慈悲深いお顔でこちらを見やるのだ。それは氷帝学園テニス部部長、200人のトップに君臨する顔ではない。ただ、1人の女性あるいは男性、跡部様を慕う私たちを愛おしげに見据えるのだ。(夢の無い話をすると、DMMシアターのあのVRは視線が合うように作られているらしく、どこにいても跡部様と目が合う仕組みなのだが)多くの客席の中から「守ってあげる」と歌いながら視線が飛んでくるのはそれはもう想像を絶する体験であった。

そして三曲目、Octoberだ。これが来るのは恐らく誰もが予想していたと思うが百聞は一見にしかず。これだけやけにオーケストラっぽく荘厳さが増していたような気がする。音圧が桁違いで演出も存在も何もかもに気圧されてしまった。お誕生日当日に、跡部様から直接この歌が聴けるという事実もありただただ平伏した。

個人的に生きているということを強く感じたのは、全て終わった後、捌けるとみせかけてバク転してから去るところ。この時はBGMも止まっており、バク転をする跡部景吾の力強い足音が聞こえるのだ。(恐らく私が足音フェチという特殊性癖であることもあるが)なぜか無性に跡部景吾は生きているのだと感じて号泣した。言葉に上手くできないが、私たちが生活する上でBGMなんて勿論流れてはいない。紙の上にいる筈のキャラクターから足音がするわけがない。でも目の前でライブを終えた跡部景吾からはBGMも鳴っていないのにちゃんと足音がする。そんな状況だから存在を強く感じたのかもしれない。跡部景吾はあの横浜の地に生きて立っていた。

 

  跡部様ですでに二千字超えているが私はまだ手塚国光について書いていないのでまだ書く。

  こちらは1公演だけ入った。跡部様ライブで先生が全部の回を見にきており、大体は立ち見にいらっしゃった。手塚ライブではほぼ最後尾だったためこれはワンチャン先生とお近付きになれるのでは!?なんて冗談言っていたら見事にフラグ回収してしまい、当日先生が真後ろに立った時は心臓が10秒は確実に止まった。先生が近すぎて開演前に泣いたし、わたしは先生に後ろから見守られながら手塚国光のファーストライブに参加した。一生の思い出である。

  手塚国光のライブも良かった。曲自体はアップテンポなものばかりだったが、今度はセトリが泣かせにきている。自己犠牲をしてでも青学の勝利のためにテニスをしていた手塚国光は、肘の故障を経て新テニでは自分のためにテニスをしている。ドイツのジャージを着て。そんな黒いジャージに身を包んだ手塚を応援するのは、青い光の海だ。こういうことをエモいと言うのだろう。果たして手塚国光のオタクたちは青学に戻って欲しいのか、自分のためにテニスをするため渡ったドイツに残って欲しいのか。私にとって青学ジャージはテニスの王子様の記号であり、私が青春を捧げた王子様達が着ていたジャージは各学校ジャージのため、単純に学校ジャージを着ていて欲しいと思う。とんでもなく個人的なエゴなので深く捉えないでほしい。

  手塚ライブで印象的なのは、Decideのラストサビ前、「一人で歩いて〜」のところ。それまで縦振りだったキンブレは一斉に、文字通り一瞬のブレもなく全員が捧げ(ケチャ?)の振りに変わった。テニフェスなどでは作品をあまり知らない人もいるし、テニスが好きでも800曲もあればそりゃ知らない曲もある。でもここには手塚国光が好きで、曲も知っている人しかいないのだと分かって震撼した。元々オタクのキンブレ芸、特にテニスは手動で色替えもやるのでかなり好きなのだが、もう本当にこの瞬間は震えた。オタクで良かったと思った。

 

  2つのライブに行き、個人的にテニスの王子様では各王子様達の人生の一部を見せてもらっているだけなのだなぁと改めて感じた。ライブの途中幼い頃からのスライド写真タイムがあり、あぁみんなこうやってご両親がいて、中学生にまで成長してきたのだなぁと思い、愛おしさと出会えた奇跡と色々な感情がないまぜになって泣いた。突然中学生のキャラとしているのではなく、私たちが見ていないだけでちゃんと15年間生きていた。もう2次元も3次元も区別が付かない。でもそれでよかった。VRライブというのは怖いものだ。

 

  どうやらこのライブ、先生のトークショーによると円盤化する様子らしい。トークショーで見たダイジェスト版、手塚ライブでキンブレを両腕にぶら下げ顔を覆い泣いているオタクが写っていた。よく撮った!と思った。準備万端で持ってきたキンブレを振れないその様子はまさに2人のライブを表す。家で見るのが楽しみだし、オタクたちと見るのもとても楽しみだ。

そういえば、その時VRの監督とまた近いうちに仕事をしたいですねと先生が意味有りげに言っていたので、オタクたちは幸村か白石ライブが来るか!?とソワソワしたがどうやらおてふぇすのことだったようだ。VRを作るのはとてもお金がかかるそうなので、円盤化されたらみんないっぱい買おうぜ!そしてまたライブに繋げようぜ!と思う。次の幸運なオタク、あるいは被害者になるオタクは誰だろうか。大変楽しみである。